小金井発!芸術文化を書くこと/伝えること講座

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「芸術」を伝える|受講生作品&コメント

ここでは講座Bコースの津田広志「<言葉にできない感動>って何?」の課題として提出された受講生作品を数本ピックアップしてご紹介していきます。

3回の講座では、それぞれ「モナリザ」「自由課題」「言葉にならない経験」と3つテーマについて800字で文章を書く課題が出ました。次の講座までの2週間で執筆された原稿には講師によるコメントが付き、受講生へ返却されました。ここではそのうちの数本をピックアップしてご紹介します。公開作品には講師による下線とコメントも付いています。講座の臨場感そのまま。講師とのやりとりも含め、ご覧ください!

目次
和田純「レオナルドについて」
早崎眞佐子「母の呪縛 モナリザの微笑み」
椛島ちさと「エミリー・カーメ・ウングワレー『カーメ − 夏のアウェリェ1』」
間宮功「夏がくると思い出すこと」
北畠久美子「長月の頃」
藤原旅人「私が体験した言葉にできない感動」

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レオナルドについて

昨年上野の博物館で開催されたレオナルド展の会場で『受胎告知』に近づいたとき、マリアに向けた視線が強く弾き飛ばされ、突き返えされてきとことに驚いた。それは、いきなり頬面を叩かれたような突然のできごとであった。突き返えされた視線は再び画面に向かい、ガブリエルから遠方の山へと吸い込まれていく。このある種暴力的な感覚が、鑑賞という安全地帯から事件が起こっている現場へと、鑑賞者から目撃者へと、私を引きづり出していった。
 最前列は立ち止まれなかったので、マリアのところで何故視線が弾き飛ばされるのかは、わからないまま会場を後にするしかなかったが、後日、芸術新潮の特集号を見て納得した。マリアの周辺で平面を強調するような描き方がなされていたのだ。記事ではレオナルドの若さからくる未熟さの為となっていたが、そうだろうか。絵画の平面性とか身体性とかは、19・20世紀の美術の純粋化とともに追求されるようになってくるが、レオナルドのような場合、ルネサンスという時代区分を超えて、絵画の普遍的問題を多く持ち合わせていると考えてもいいように思う。レオナルドにとって絵画の背景は物語りの舞台だけではなかったのだ。
 誰かによって黒く塗りつぶされた『貂を抱く婦人』の背景もまた、画面を成り立たせる重要な働きを担っていたにちがいない。講義の途中『モナリザ』のことが頭をよぎった。『モナリザ』の背景に描かれた神秘的で魅力的な風景は、どういう働きをしているのだろうか。また、その背景を黒く塗りつぶすと『モナリザ』はどのように見えてくるのだろうか。
 『モナリザ』の背景を黒く塗ってみる。するとジョコンダ婦人の体は闇の中に浮びだす。定位置を無くした頭部は空中に漂い、手元は暗闇の中を探さないと見つけることができない。もはや身体の関係性はバラバラに壊れている。ジョコンダ婦人は、背景と共に在ってこそ自然な体として存在する。
 背景の中で、S字カーブの坂道がまず目につく。S字道へ向けた視線は、坂道を曲りながら山奥へと登っていき、ジョコンダ婦人の頭をまたいで、山間湖から流れ出す水の流とともに橋のところまで降りてくる。そこからショールを伝って右肘へといき右手の甲から左腕へと切り返す。そして水平に安定した左腕から肘のところで直角に折れ曲がると肩のところまで上昇し、胸元を通ってS字道へと戻っていく。視線は画面の上を8の数字を描くように移動する。8の数字の下のはジョコンダ婦人の胴を作り、上の円は大地の隆起や水による浸食の運動となる。 ジョコンダ婦人の頭部は上の円の中に、自然の秩序の中に納められている。
 観者がその視線を画面の隅々まで全てに、難無く自然に動かすことができるとき、観者の視線は絵画の中で自由となり解放される。そのとき有限な大きさである絵画は、大きさの制約を突き抜け、観者の世界と等身大となる。
 『モナリザ』の背景は俯瞰するような見下ろす視点で描かれ、ジョコンダ婦人は正面から描かれている。背景とジョコンダ婦人を見る視点にはズレがある。俯瞰の視点は神の眼差しを示しているのだろうか。よく見てみると、S字道がより高い位置から見下ろされており、俯瞰する視点が複数あるように思えてくる。湖の水面も不安定に傾いている。これらのことは観者にどのような感覚をもたらすのだろうか。『受胎告知』の体験は、実物と対峙してこそ感じた体験であり、画集ではなかなか伝わらないとこである。『モナリザ』も実物を見たいところであるが、そうもいかない。せめて思考だけでも、もう少しすすめてみよう。
 ルネサンスは、神に代わって人が世界の中心へとシフトしていった時代である。人類が万物の霊長と成り得えたのは、理性がヒエラルキーの最上層に位置したからである。その理性の表象が西洋の遠近法(透視図法)であり、レンズが結ぶ像の姿である。それは複眼の世界ではなく単眼の世界であり、ただ一つの視点が存在する世界である。理性を上層に位置づける世界は、感覚は理性を邪魔するものであり原始的なものであるとして、感覚を下層に位置づけた。
 その後、自分の感覚を信じ複眼の眼差しで世界を見始めるのはセザンヌである。産業の発展に矛盾が生じ出し、都市部では人々への疎外が始まりだす、理性のヒエラルキーが揺らぎ始める時代であり、ルネサンスからはずいぶん後のことである。
 一方、日本では、近くにあるものは画面の下に、奥にあるものは画面の上に描くという遠近法(とりあえず上下遠近法としておく)が用いられた。これは、下から上への視線移動が奥行きの距離感に転化する、運動と感覚の遠近法である。
 ここで、『モナリザ』の背景は「俯瞰する視点が複数あるように思えてくる」という点に注目し、上下遠近法のような描き方でレオナルドが背景を描いたと想像してみる。S字道は手前にあるから画面の下に、山々は奥にあるから画面の上に描かれる。橋の奥にあるのは湖ではなく海かもしれない。奥にあたるものは画面の上部に描かれることから、観者に対し立ち上がって現れ出す。それは俯瞰の風景に似通ってくる。つまり『モナリザ』の背景は、「俯瞰した風景を描いた」のではなく、「俯瞰した風景を描いたように見える」ということになる。レオナルドが山水画を見ていたかどうかということよりも、重要なことは、理性が最も尊ばれた時代に、下層と見なされた感性を重要視していたということだ。それはルネサンスという時代を超脱していくことである。

(和田純)

講師コメント
1 和田さんには、文章を書き慣れた方の痕跡がありますね。すばらしい文章です。
 対象を緻密に見ながら、観察し、発見し、探求する姿勢がありますね。探求者ですね。
 でも研究者ではない。熱い、何か情熱が底辺にあります。

2 モナリザの中に秘められているS、8など、数秘的な世界にも踏み込んでいらっしゃる気配を感じました。たとえば、小説トーマス・マン『魔の山』が7という数字を全面にちりばめて展開しているように、和田さんの文章は新しい発見をされる予兆すら感じさせてくれますね。

3 ラストの発見は非常にすばらしい(傍線部分)。「下層と見なされた感性」という言葉も、力があっていいですね。
 ただし、和田さんはもっと感覚力がある方だと思います。もし最後に、感性重視の指摘をされるなら、ご自身もどこかで感性や官能を開く練習をすれば、もっとよくなると思います。文体を官能的にすることだっていつかできると思います。

「母の呪縛 モナリザの微笑み」

ダビンチの告白
 幼い頃私は、一人で山に登り、湖で遊んだ。私の行く場所には虫達が虫の世界に私を招待し、その日一日は虫の世界で時間をすごした。またある時は花達が私を誘う。ケモノ達とじゃれ合うこともある。母はいつも楽し気に満足そうに帰り道を歩いてくる私を家の前で待っていた。母は私を抱きとめて私の話を聞きたがる。私は母の膝に疲れた体を預けながら母に私の見たものや聞こえたもの触ったものの話をする。森や湖に私を預けることは母と神との契約であったということは後になって知った。
 母は私を抱きしめ、私は母の大きな体の中にうずくまるように眠った。眠りの中で母の匂いが私の中の細胞の一つ一つに種を植え付けていた。その種は一つずつ私の中で根を張り、花を咲かせ実を付けて行った。私はそれらの種がはじける度に苦しさと甘美な匂いに刺激された。私の美への衝動を押さえることは不可能だ。何故なら、母の匂いの呪縛が私をかり立たせるからだ。
 私は母の匂いに似た女と出会った。それは私が母の匂いの呪縛から私自身を解き放ち、母を封印する時を告げる出会いであった。母の匂いは甘酸っぱく、腐りかけた匂いを隠す花の匂いとが混ざり合った複雑な匂いだった。そのからみ合う匂いを丁寧にほどき私は母の呪縛を解こうと試みた。額には蜜の匂いを、口元にはバラとラベンダーの匂いを、腐りかけた肉の匂いは服の下に隠そう。

モナリザは臭い
 ダビンチは母の匂いがあまりにも複雑であった為にそれを解明することは出来なかった。モナリザは異臭を放ち始める。呪縛から逃れるどころか増々絡めとられていくダビンチ。そのもがき苦しむ様をじっと見つめるモナリザ。ある日ダビンチはこれが母と神との契約だったことを知る。だが生きている自分の勝利を自負しながらも生かされていることの敗北感を感じないわけではなかった。ダビンチは呪縛の中で生きることで呪縛を楽しむようになる。呪縛こそが彼に与えられた神と母からの贈り物だからだ。ダビンチはモナリザを描くことでそれを確信した。確信を得た時点でダビンチはモナリザを捨てた。捨てられたモナリザは今も尚、自分の放つ異臭にじっと耐えている。

(早崎眞佐子)

講師コメント
1 まず、選ばれた書体(フォント、著者原文はHG明朝で、書道体)が目をひきます。感情のうねりが表現されているようですね。この方は、感覚がものすごく鋭敏で優れています。特に嗅覚や気配を読む力には非凡なものがあります。

2 下線の部分にあなたの文体の個性が表現されているように思います。モナリザと異臭をむすびつけるセンスは、すごいです。かつてないモナリザ論になりそうです。単に美に
ついて語る人は多いですが、あなたは違う、もっと独創的なセンスがあります。

3 以下修正点です。上のセンスを絶対に守りながら、まず、文章のなかで余分な言い回しを削除してくださいますか。次に自分が本当に言いたいことは何か、確認してくださいますか。

4 まだエッセイの体裁になっていませんが、モナリザからいったん離れて「母」についても考えてください。
 あなたと同じではありませんが、母、性にからめながら書いた文章(無視しがたい名著と呼ばれている)を参考資料としてつけておきます。

「母はわたしがいきていくためにあらゆることをした、たぶん私が生まれてきたこと自体が間違いだったのだ。この女どもはあらゆる無限を台なしにしてしまう。」
フェルナンド・セリーヌ『なしくずしの死』

「人々は、ヴァン・ゴッホが精神的に健康だったということができる。彼は、その生涯を通じて、片方の手を焼いただけだし、それ以外としては、あるとき、おのれの左の耳を切り取ったにすぎないのだ。
 ところが彼の生きている世界では、人々は、毎日、緑色のソースで煮たヴァギナや、鞭でひっぱたいた泣きわめかせた赤ん坊の、母親の性器から出てきたところをつかまえたような赤ん坊の性器を喰っていた。
 これは比喩ではない。全地上を通じて、大量に、毎日、くりかえされて、つちかわれた事実である。」

アントナン・アルトー『ヴァン・ゴッホ』 

 こうした文章は、「アブジェクション」とよばれる、カオス(混沌)に巻き込まれたときの愛憎一体の激しい感覚、感情の表現です。母性攻撃だけでもなく、いろんな対象に向かいます。しかし言葉にした瞬間、私たちはかすかに救済されているのです。
 

エミリー・カーメ・ウングワレー「カーメ − 夏のアウェリェ1」

 乾いた赤土の大地に久しぶりの雨が降る。大地に落ちる雨粒は乾ききった土にはじかれる。その砂粒もまた雨にはじかれ踊りだす。砂粒の中には植物の種子も交ざるだろうか。

 やがてそれらは潤い大地に戻る。大地にしみ込む雨が赤土の色を濃くしていく。水を得た種子達はやがて芽を出し、色とりどりと花を咲かせるかもしれない。そういった一連の自然の出来事を高速度カメラでとらえて、1枚の平面に納めたみたいだ。

 オーストラリアの大地と、作者自身の語った「全てのもの」を描いているという言葉から受けた印象も影響しているのか、それは無限の奥行きを持っているように見える。

 彼女はオーストラリアの原住民として生まれ育ち、西洋芸術の影響は一切受けていない。それでいて彼女のドットは1つ1つ筆で描かれており、その点の集積の現すものは私達に西洋芸術の歴史的ポイントのスーラの技法を思い起こさせる。スーラが描こうとしたのは世界の万物を照らす「光の粒」だ。そんな背景を知ることも無しに、エミリーもまた「全てのもの」をただただ自由に緻密に、そして奔放に描いている。

 彼女のドットはタイトルのアウェリエという儀式の際に用いられるボディペインティングや砂絵に由来すると言われていて、アボリジニの女性に与えられるシンボル(動物や植物等)についての伝承であったりするそうだ。

 私達はそれを芸術作品として見ているが、もしかしてアボリジニの人々はこれを言葉に変わる意味のあるものとして受け取っているのかもしれない。彼女のシンボルであるヤムイモについての何か、種のありかとか、収穫場所への道のりとか、そういうものであったりするのかもしれないと思うと、文化・文明の多様性を深く感じる。その私達の想像の範囲を超えるものがあるかもしれない、というのがまた心をくすぐり、彼女が伝えたかったこととは別に、1つの作品にあらゆる想像の宇宙が広がっている。そういう作品だと思う。

(椛島ちさと)

講師コメント
1 事物を透明に見る目、そして感受性もやわらかいですので、すごく共感して読めます。出だしの描写も、力みなくいいと思います。

2 最後の押し込みがすこし足らないのが残念。最後の傍線の部分こそもっと書いていただきたい。次回はラストからお書きになることをおすすめします。
 
3 どこかで「あきらめている自分」がいませんか。本当にセンスがある方なので、形がこわれてもいいですから、突っ込んで、発見するまで書きつづけてください。すごくよくなると思います。
 エミリー・カーメ・ウングワレーの強さ、悲しみ、笑い、怒り、超絶としたところ、色など、さらに考察を深めればどうなるでしょうか。

夏がくると思い出すこと

 一つ目。たしか小4の夏休みに親にお灸をすえられたことがある。柱にしばりつけられた末に。とにかく言うことを聞かないで、さんざ悪いことをした挙句に、十才年上の兄におさえつけられたのである。今はもう、父母も兄さえもこの世にいない。
 
 二つ目。夏休みは宿題をやってしまえば、あとは親がどこかへ連れていってくれるというような時代ではなかった。お昼過ぎに村を通過していく下りの東海道線(当時は汽車)の線路端に行くといいことがあった。手を振るだけでヤンキー(当時、日本に進駐してきたアメリカ軍の兵隊さんたちのこと)がシガレット(たばこ)やチョコレートを車窓からぼんぼんと、ほおってくれる。それを我ら子どもが夢中で拾うのである。シガレットは近所のおじさんやお兄さんたちがお金と交換してくれるのだから、線路に近づいて素早く手を出す。

 建前(上棟式)の投げもちより時間が短いのだ。みんな必死である。午後一時すぎが一番ねらいではなかったろうか。お昼ご飯も急がねばならなかった。親たちも知っていたのか、内緒だったのか。
 夏休み明けに、担任の先生が涙声で叱った。「お国の恥じです。あなたたちはなんということをしたくれたのだ」と。中国から引き揚げてきて、辮髪風の頭をした女の先生だった。学年があがるにつれて受け持ちは軍隊帰りの男の先生のほうが多かった。彼らは怒るとよく我ら児童生徒を一列に並ばせて、素手で往復ビンタを喰らわせた。「連帯責任だ!」
 しかし、あの小2の担任は線路でシガッレトでかせいだ子どもたちを前に立たせておいて、彼女自身がワンワン泣いたのだ。なぜ泣くのか、そのときにはわからなかったのだ。今になると、あの女先生の祖国を思う心の強さがよくわかる。見習わねばといつも思い出す。

 三つ目。夏休みの計画は子どもが立てたらよいと思う。守らなかったら、その報いは本人に来るに決まっている。にもかかわらず、塾の日程、ならいごと、お出かけその他、いまどきの子どもたちは親が全てのスケジュールを管理しているケースがまことに多い。子どもたちに何か聞いても、「ぼく、わかんない。お母さんに聞いて。」と答える。
 約四十日もの夏休みゆえ、だらだらしたら、宿題が済まない。困るのは子ども本人だ。総理大臣であろうと、誰であろうと、自分が約束したこと、自分のやるべきことをやらないでいたら、叱られて、熱いお灸をすえられたらいいのだ。お灸ぐらいで死にはしない。何回でもお灸をすえるのがよろしい。そうしないと自主性など育ちはしない。

 ほめられたことより、叱られたり、どやしつけたいほどのことのみ思い出すというのはどうしたわけだろう。喰うや喰わずでみんなが必死に生きていた時代だったからだ。カンタンに他人様をほめたりすれば人はのぼせあがるものだ。今はガキでも客なら神様だと。馬鹿。

(間宮功)

講師コメント
1 非常にいい文章ですね。
 とくに傍線の文章を、ぽつんぽつんと表現しながら、非常にインパクトのある言葉になっています。
 いい意味で「孤独」、かつ切れのいいタッチ、見事です。
 筆者の生きざまが伝わってくるようです。
 映像的な魅力もあり、視覚がすごく発達した方ですね。 

2 課題があるとすれば、昔の時代を再現されること通して、本当におっしゃりたいことは、一言でいってなんでしょうか。最後の『今はガキでも客なら神様だと。馬鹿。』でしょうか(もし怒りなら、それをとことんまで味わっていただき、それを突き抜けた世界を表現できればいいですね)

 その本当におっしゃりたいことを「タイトル」にしてみたらどうでしょうか。
 私は、この文章の本質が、人間の「孤独」、時代の「孤独」にあるように思います。生きることそのものの孤独。
 旧ソ連のカネフスキー監督映画『ひとりで生きる』(すごい映画ですよ)のようなタイトルは可能ではないでしょうか?
 アゴタ・クリストフの小説『悪童日記』もぜひお読みください。

→間宮、返答
題名について、津田先生からご指摘いただいた通り、考え直しまして、『夏がくると思い出すこと─お灸というしつけ』 にしたらいいのではないかと思います。一番最初にこの文を書いたときは親向けに、夏休みの子どもたちへのしつけ方という角度から書いた文だからです。

長月の頃

  カマキリのうた      室生犀星

みんなさよなら、
セミも
バッタも
トンボウも
みんなさようなら。
びっこをひいたカマキリが1ぴき、
まだ生きるつもりで、
草の上で手をふってよんでいる。
じぶんだけがまだたっしゃで
あたたかい
ひなたの土地を旅している。
そして
セミよ
バッタよ
トンボウよ
みんな来年までさようなら。

 さあ、暑かった夏も昨日で終わりです。今日からは2学期ですよ。もう夏休みは終わりました。夏休みにさようならのつもりで、気持ちを切りかえてがんばりましょう。
 かつて、私が小学校の教師をしていた頃、2学期の始まりは「カマキリのうた」でスタートしました。
 夏休みも終わりの頃になると、日中は暑くても朝晩涼しくなりしのぎやすくなってきますが、冷房のない教室はあせだらだらで「プールに入りたい!」という子どもの声がしきりとするのです。それも、
 夏と秋と行きかふ空の通路はかたえ涼しく風やふくらん
の歌の如く、いつのまにかしのびよる涼気にその声も聞かれなくなってくるのです。
 教室で、子どもたちの夏休みの宿題などを見ていますと、いつのまにか暗くなり、時計を見ますと、あら、まだ6時。ずいぶんと日暮れの早いこと。夏休みの頃は7時過ぎても明るかったのに。
 ああ、夏は行ってしまったのですね。暑い盛りは早く涼しくならないかなと願っていたのに、今、あの夏のエネルギーを恋しく思うのです。きゅうりやなす、トマトなんかツヤツヤとじゃんじゃかなったし。夏は、豊か!

 夏休みいっぱい抗がん剤の治療を終え、父はようやく退院することが出来ました。髪の毛は抜け落ちてしまいましたが肺のがんはだいぶ小さくなり、ひと安心。庭に出て花に水をやったり、ゆりいすに座ってその庭を眺めたりして過ごしておりました。そのうちにつまずくことが多くなり秋分の日には、何かをとろうとしてくつぬぎ石にしりもちをついてしまい自分では立ち上がることが出来ませんでした。これはおかしいと病院に連れて行くと即入院となってしまいました。脳転移なのでした。
 長月。春から夏とは逆に残暑はあっても気温は日増しに下がり、日の暮れは日増しに早くなり、その落差は大きく何とはなしに物悲しくなります。ふとカレンダーに眼をやると、後4枚しかありません。もう1年の3分の2は終わってしまったのです。
 その翌年からの長月は、さらに寂しさがつのるのでした。
務めを辞めた今、びっこをひいたカマキリのように私は生きています。この夏と秋の狭間で、「カマキリのうた」を何回も読み返しながら。長月の後に来る夏のエネルギーをいっぱい溜め込んだ実りの秋を楽しみにしながら。

(北畠久美子)

講師コメント
1 この文章は、深い陰影を奏でています。室生の詩ではじまり、お父様のガン、そして著者の今の心境を、あざやかなモンタージュ(異なるシーンを結合させて印象深く表現する方法)になっています。行間から、響いてくる夏の終わり、死の気配、それにもかかわらず懸命に生きる著者。すべて印象的で、小手先の文章ではないのがよくわかります。

2 傍線の部分も、印象的。ご自身を詩の中の虫にたとえられ、「びっこをひいたカマキリ」と形容されるのも深い味わいを感じます。

3 あとは、文章テクニックをマスターされれば、完璧です。もう少し読者に対して、情景を説明する言葉が補足的にはいると、すごくよくなると思います。たとえば。

 長月の頃                北畠久美子

 かつて、私が小学校の教師をしていた頃、2学期の始まりは「カマキリのうた」でスタートしました。
 カマキリのうた      室生犀星

みんなさよなら、
セミも
バッタも
トンボウも
みんなさようなら。
びっこをひいたカマキリが1ぴき、
まだ生きるつもりで、
草の上で手をふってよんでいる。
じぶんだけがまだたっしゃで
あたたかい
ひなたの土地を旅している。
そして
セミよ
バッタよ
トンボウよ
みんな来年までさようなら。

 夏の終わりの気配を鮮やかに伝えている詩でした。
 さあ、暑かった夏も昨日で終わりです。今日からは2学期ですよ。もう夏休みは終わりました。夏休みにさようならのつもりで、気持ちを切りかえてがんばりましょう。そんな夏の終わりの一瞬を感じました。
 
 そう、思い出せば、いろんな学校の光景が浮かんできます
 夏休みも終わりの頃になると、朝晩涼しくなりしのぎやすくなってきますが、冷房のない教室は皆汗だらだらで「プールに入りたい!」という子どもの声がしきりとするのです。しかし、それも、

 夏と秋と行きかふ空の通路はかたえ涼しく風やふくらん

の歌の如く、いつのまにかしのびよる涼気にその声も聞かれなくなってくるのです。

 教室で、子どもたちの夏休みの宿題などを見ていますと、いつのまにかあたりは暗くなり、時計を見ますと、あら、まだ6時。ずいぶんと日暮れの早いこと。夏休みの頃は7時過ぎても明るかったのに。そう思いました。

 ああ、夏は行ってしまったのですね。暑い盛りは早く涼しくならないかなと願っていたのに、今、あの夏のエネルギーを恋しく思うのです。きゅうりやなす、トマトなんかツヤツヤとじゃんじゃかなったし。夏は、豊か!
 
 もうひとつ大切なこと。
 夏休みいっぱい抗がん剤の治療を終え、父はようやく退院することが出来ました。髪の毛は抜け落ちてしまいましたが肺のがんはだいぶ小さくなり、ひと安心。彼は庭に出て花に水をやったり、ゆりいすに座ってその庭を眺めたりして過ごしておりました。
 そのうちに父は、つまずくことが多くなり、秋分の日には、何かをとろうとしてくつぬぎ石にしりもちをついてしまい自分では立ち上がることが出来ませんでした。これはおかしいと病院に連れて行くと即入院となってしまいました。脳転移なのでした。

 長月。春から夏とは逆に残暑はあっても気温は日増しに下がり、日の暮れは日増しに早くなり、その落差は大きく何とはなしに物悲しくなります。ふとカレンダーに眼をやると、後4枚しかありません。もう1年の3分の2は終わってしまったのです。

 その翌年からの長月は、さらに寂しさがつのるのでした。
教員の務めを辞めた今、びっこをひいたカマキリのように私は生きています。
この夏と秋の狭間で、「カマキリのうた」を何回も読み返しながら。長月の後に来る夏のエネルギーをいっぱい溜め込んだ実りの秋を楽しみにしながら。
 せいいっぱい、私は生きている。

私が体験した言葉にできない感動

 感動とは記憶だと思う。記憶は私の感動を書き留めているのだ。何かに心が反応し、動く。その瞬間を私は記憶に留めている。しかし私は心が動かない感動も味わったことがある。
 高校2年の夏に私は「ショアー」という映画を見た。この映画はユダヤ人に対するホロコースト政策に関係した人々のインタビューをまとめたドキュメント方式の映画である。映画といっても上映時間は9時間半に渡る。その映画を見るきっかけになったのは世界史の先生が授業中にこの「ショアー」のことを話してくれて、何人かの生徒が興味をもったことだった。学校が夏休みの時にその先生が提案して、この有志映画上映会が実現したのだ。上映は朝早くからはじまった。
 静かにその映画は始まった。先生は特に作品について説明することもなく映画を流しはじめた。次から次へと証言が飛び出してくる。それは冷たく静かにまた重くテレビの画面から私たちの教室へと言葉が運ばれていった。泣き出すものや、声を出すものはいなかった。私たちはまるで一心同体の生物であるかのようにその映像に反応することなく身動きできないまま、その映像に向き合うしかなかった。その映像は休みを取ることなく流し続けられた。上映が終わる頃、もう辺りは薄暗くなっていた。先生はカセットを取り出しながら、「ショアーはヘブライ語で破局を意味するんだよ」と一言だけ述べた。そして、教室を出ていった。
 家までの帰路の最中、誰も言葉を発する人はいなかった。自分たちが道を歩く音と蝉の音しか聞こえていなかった。みんな無言で歩いた。言葉に置き換える何かはなかったし、言葉に置き換えようともしなかった。私はなんとなくそうすることが正しいと歩きながら思っていた。普段よりもその帰路は長く感じられた。今でもその瞬間を覚えている。
 それまで感じてきた感動は瞬間的なもので感情が動くものだった。しかし私がそこで感じた心が動かない感動だったのだ。この映画には私の感情の全てが含まれており、映画に私が反応するというより、映画全てが私の中に入ってきて、私は受け入れただけなのだ。夏の蝉の声を聞くと今でもこの時のことを思い出す。

(藤原旅人)

講師コメント
1 傍線の逆説はすばらしい。感動はふつう、心動かされるものですが、あなたは「心がうごかない感動」と表現しました。読み手は、あなたの感動の深さ、重さを感じることでしょう。

2 前回よりも、数段、大人の文章になっていると思います。ユダヤ人の強制収容所の記録をとった重い映画に対してあなたは正対したのだと思います。
 さらに映画の1シーンのディテールなどをいれるともっと印象的で説得力をもった文章になったのはないでしょうか。私もこの映画を見ましたが、見終わったあと、あなたと同じように「心が動かない感動」を覚えたのを思い出します。

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