小金井発!芸術文化を書くこと/伝えること講座

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美術と人をつなぐ ギャラリスト池田与汐子

「誰もが入れる,美術の扉を開けるギャラリーオーツー」

 美術一般から現代工芸、その他を含め、年間20回もの企画展を展開しているギャラリストの池田与汐子さんをお訪ねしました。今日は、池田さんの人生の軌跡やギャラリー哲学などをお聞きしたいと思います。
 池田さんのギャラリーは大田区の大森駅から蒲田行きのバスに乗り、3つ目の「大田文化の森」バス停で降りて、徒歩2分ほどのところにあります。外から一目で中の様子がうかがえる木枠のガラス張りで、あたたかな感じのギャラリーです。中は真っ白な壁、作品を展示する作家さんへの敬意とその作品を見に来られる方々への行き届いた心使いが感じられます。
 池田さんは会期中にも関わらず、気持ち良くインタビューに応じて下さいました。

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ギャラリーオーツー
 私が伺った7月15日は「銅金裕司のCO2キャッチャープロジェクト展」が開催されていました。
 学校帰りの小学生がギャラリーいっぱいに膨らんだ大きい透明な風船に興味津々という感じで覗き込んでいます。池田さんがドアをあけて子ども達に手招きしました。女の子一人と男の子二人は冒険にでかけるような目をして、入ってきました。
  「池田さんはどんなお子さんだったのですか?」


*ワイルドに育つ
         
 私は母の実家があった岐阜県の山奥で生まれました。周りは男の子ばかりでした。豊かな自然に囲まれてワイルドに育ったようです。とにかく手に負えないお転婆だったようです。ある日、何かお祝いでもあったのか私は覚えていないんですが、母が私に白いドレスを着せたそうなんです。昔は雨が降ると大きな水たまりができたでしょ。水たまりが好きだったのか、白いドレスドロドロにして遊んでいたようです。とにかく男の子も一目置くようなお転婆な子どもだったことは確かですね。
 ですが5歳の時に祖父母のいる岐阜から、愛知県下の城下町で両親と妹の4人で暮らすことになりました。そこは簡単にはよそ者を受け入れないような気質の町でした。遊ぶ場所も周りの子どももがらっと変わった場所で、私は隣近所に監視されているような息苦しさを子どもながらに感じていました。高度経済成長時代でそれも学力偏重の特に強い愛知県でしたから、押さえつけられるような環境は返って私の反抗的な性格を刺激したかもしれませんね。                            

ギャラリーオーツー
 子ども達はすぐ帰るつもりなのか、ランドセルを背負ったまま、手には大きな手提げ袋も持っています。逃げの体制を崩さない子ども達の様子が少し可笑しく思えます。大きな風船が部屋に入っていることも不思議なことですが、風船の中に植物が飾られているのも不思議な光景です。「ランドセルと荷物置けば」と池田さんに言われ、やっと肩からランドセルを下ろした子ども達でした。「風船の中に入ってみれば」と言われても子ども達は怖いようです。女の子に勇気のなさをなじられ一人の男の子が風船の中に入ると言いました。入ってみると「空気が美味しい」と言います。「どうしてなんだろう?」これが銅金裕司さんのねらい通りの五感を使ったインスタレーションです。
 「愛知県は教育熱心な親が多いそうですね」


*絵を描くことが好き

 私も今で云うような「お受験組」ですね。中学、高校と名古屋市内にあるカトリックの有名私立の女子校に通いました。私は好きではありませんでしたが、その当時はかなり目立つ制服でしたし、ベレー帽を被って歩くのが恥ずかしかったですね。家を出るとさっと鞄に入れましたよ。学校が遠いので近所の子どもと遊ぶこともなく、学校の友達と遊ぶこともなくちょっと寂しかったかな。長女の私だけが遠くに行かされているという寂しさと、親の期待に応えなければならない重圧はありましたね。でも気が強いというか、とにかく反抗的だったと思いますよ。自分を頑なに守りたい意識のどこかで表現することに気持ちを変化させていきました。母は絵を描くことが好きでしたし、私もそんな母の影響もあったのでしょうね、小さい時から絵を描くことが好きでしたから、何度も表彰されました。自分のイメージをビジュアル化させることは楽しい遊びでしたね。いつの間にか自分の進むべき道は美術しかないと思うようになりました。その当時はカトリックの女子校から美大に進学する生徒などいませんでしたから、曖昧な受験勉強はすっぱりやめて進学はせず、その頃彫刻ではかなり有名な日展作家のもとに弟子入りすることになったのです。

ギャラリーオーツー
 風船の中の男の子は転げ回ったり、走ったりしています。風船の外ではアナライザーの数字とにらめっこをしている友達が「あがった、あがった」と言っています。何が上がっているのでしょう。それはCO2の値が上がっているのです。風船は地球を表しています。子ども一人が風船の中に入った時、風船の中には酸素がいっぱいあったので空気が美味しいと感じたのでしょう。酸素を消費しているのが自分自身であることにはまだ気づいていません。
  「彫刻家もその当時では、女性は少なかったのではありませんか」


*彫刻家から美術商へ

 弟子入りしてからは粘土を錬ることから、大工仕事、左官仕事、鋳物に至る何でもしましたし、母が建ててくれた自宅のアトリエでは木彫、石彫、ブロンズの制作に情熱を注いでいました。しかし心の片隅には追求すればするほど、これではないという思いが湧いていました。一人の作家のアトリエで学ぶという小さな枠から、外の世界や新しいことへに挑戦したい思うようになり、彫刻から気持ちが離れていくことになってしまったのです。デザインや服飾関係のアルバイトを始めてまもなく、私は有名デザイナーや東京芸大の教授達を含む美術愛好家とともにヨーロッパへ美術鑑賞ツアーに行きました。その当時ではめずらしいツアーだったそうですが、私は20歳で、贅沢な海外旅行に最年少で参加することになりました。中近東の砂漠を越え、西ヨーロッパを巡るというダイナミックな旅でした。憧れの美術を目で肌で感じましたし、偉大な彫刻や芸術を生み出した空の色、海の色、空気全ては想像を超えたものでした。それから何年か後に縁があって美術商という絵を売買する仕事につきました。

ギャラリーオーツー
 子どもたちはCO2が二酸化炭素であることも二酸化炭素がどうして二酸化炭素になるのかもわかりません。小学校3年生では少し難しいようです。しかしテレビで聞く言葉としては知っているのです。  銅金裕司さんのインスタレーションには次のようなプレスリリースがついていました。 『いま、地球温暖化のためCO2削減が叫ばれています。電気を消したり、ゴミを分別したり、その活動はみんなに我慢を強いるもので窮屈な気分です。とはいえ、それらは、どうも本質からずれているような気がします。なぜなら、問題は、地球からせしめたガソリンなどの化石エネルギーの過剰な浪費にあるからです。その浪費はあいかわらす続ける一方で、CO2放出の節減を声高に叫んでいるわけです。この地球の資源を節約しつつも使う、というあくなき欲望。しかしまことなる問題解決は「地球への負債返済」ではないかと考えます。この展示ではこのことを本気で考えたいと思います。それは人類の浪費からすればあまりにも微量ですが、植物の光合成はその返済を手伝ってくれることです。いっぽう、光合成の酸素のの放出がなければ、すべての動物は酸素不足で窒息して死んでしまうでしょう。CO2キャッチャープロジェクトでは、このように植物の存在の重要性に気づき、きちんと地球からの借りを本気で返すことを、みんなで楽しく、美しく実行してゆくことを提案します。自然界への感性を回復していくことが、私のアートの活動だと思っています。』
 「本物に触れたことが美術商になる基盤を作ったのでしょうか」


*自分が試されるスリリングな仕事

 美術商になってから美術を商品として取り扱う側になり、次第に仕事としての面白さを感じるようになりました。人が作ったものに値段を付けそれを売買する仕事は、楽しくもありまた、自分の五感を絶えず磨き研ぎすましていなければなりません。時には大きなお金が動くリスクの高い仕事です。美術の知識と見極める感性と商いの勘所が必要で、常に自分が試されるスリリングな仕事です。しかし自分が良いと思ったものに決定的な評価を与えるのはお客様です。この商売の醍醐味は、ほんの一瞬でも美術品を誰かと共有できた時で、その嬉しさはひとしおです。一つの作品を中心に人と人が繋がり,作り手の魂が人に乗り移るのです。私は銀座に画廊を構えてから、パブリックな空間を持つ意味合いを求めるようになりました。ギャラリーが多く美術関係者や愛好家が行き交う街でのギャラリー活動は自分も試されている自覚があり、充実した日々でした。

ギャラリーオーツー
 風船から出て来た男の子が他の二人に「お前も入ってみろよ」と得意げに言っているのが聞こえてきます。「うん、明日ね」「明日も来ていいでしょ」「いいよ!」と軽く池田さんは応えて子ども達に風船の説明を始めました。そこへ銅金さんがギャラリーに入ってきました。「このおじさんが作ったんだよ」「何か聞いてみたいことあったら、聞いてね」
 銅金さんは子ども達の質問にはあまり答えたくない様子でした。そんな銅金さんを見ていて思ったことは、知ることも大切だけれど感じることはもっと大切なのだということかもしれません。
 風船から出て来た男の子が笑顔で話かけてきます。池田さんはカナダ人の旦那さん(修復家)とはいつも英語で会話しています。そのストレートなしゃべり方は日本語でも同じようにストレートです。池田さんはきりりとした、きれいな方です。はっきりしたしゃべり方をされるので、ちょっと日本人離れした感じがします。そのせいか日本人の曖昧なものの言い方に慣れた子どもには、ちょっと怖そうな感じを与えているのかもしれません。ギャラリーにはだんだん人が集まり始めました。
 「大きなお金が動くというのは、確かに大変なお仕事ですね」


*日本からロンドンへ
 
 30代後半で銀座の画廊を一緒にやっていたパートナーと別れ、単身イギリスに行くことを決意しました。ヨーロッパには定期的に行っていましたし、ロンドンは美術マーケットの中心なので行くならロンドンと決めていました。ロンドンでは前からつながりのある美術商とのコネクションもあったので、美術商として「ロンドンでやっていこう」と小さな目標をたてました。次第に充実した仕事ができるようにもなりました。それは自分でも手応えを感じられた時期でした。
 イギリスは当時不況のまっただ中、日本はバブルのまっただ中でした。日本の景気に助けられプロジェクトを立ち上げました。それはイギリスの代表的な作家2名のコレクションカタログを作り日本に紹介するというものでした。この二人の偉大な作家のカタログは小さな本でしたが、大きく手がけたことで作品も沢山取り扱いました。このカタログはイギリスの国立美術館TATEギャラリーに500冊ほど買い上げられました。私のような外国人ディーラーの作ったささやかなカタログが国立美術館に買い上げてもらえたことは、光栄なことです。私自身励まされてる思いでした。自分にとって満足の行く仕事ができましたし今の連れ合いと出会うこともできました。イギリスには外国人の美術商も沢山います。先輩画商達と付き合いながら日々勉強することはいくらでもありました。怒濤のような濃密な4年間を過ごした後、無性に日本が恋しくなり夫と長女と三人で帰国しました。日本はバブルがはじけた後でした。美術業界にも暗い兆しが漂っていました。

ギャラリーオーツー
 大人達がどんどん風船に入っていくのを子ども達は不思議そうに見ています。何やら楽しそうにアナライザーの数値を確かめています。「もうすぐ警報鳴るんじゃない?」「ほらもう1000越えちゃったよ」「いや、まだまだ大丈夫」「頭クラクラしてきたら出ようかな」という会話が聞こえてきます。子ども達がそんな大人達が面白そうにしているのがわからない感じです。
 日も暮れて子ども達は帰る時間になり「また、明日来ても良い?」「いいよ」「じゃあ、明日来るね」と言って家に帰りました。風船を囲んで色んな人が集まり、話をし笑ったりしています。
 「ロンドンでの成功があったのに、日本が恋しくなられたんですね」


*美術と人を結ぶ

 日本に帰ってからの再出発は困難を極めました。自分の身の置き所やどこから手をつけていいのか困惑ばかりの日々が過ぎ、崖っぷちまで来た時、日頃からためていた思いをとにかくやってみることにしました。自宅の一部を解放しそこで作家展を始めました。自宅を開放した日常の空間を使うことで、今まで心の片隅に抱いていた工芸への興味がふつふつと湧いて来たのです。あらためて自分が担う役割を与えられたような気がしました。陶芸のように日常食器や花器など生活に密着した工芸品を紹介することで、今まで美術などに興味のなかった人たちにも違ったスタンスで作品を売ることができるようになりました。このような生活に密着した工芸は、美術愛好家が美術を鑑賞することとは違い、まずは工芸家の作品がこのギャラリーで生活者と出会うところから始まります。そして作品を買った人は洗練された生活道具を使うことで日常に潤いを得るるだけではなく、ものに込められた魂に触れます。自宅開放のギャラリーからまた一歩踏み出すことにしたのは、工芸だけに留まらずより身近に美術と人を結ぶことが出来るようにしたいという思いがあったからです。そこで自宅近くに小さいですがギャラリーを持つことにしました。

ギャラリーオーツー
 子ども達が帰った後酒盛りが始まりました。銅金裕司さんは海洋学を修めた後植物生理学、園芸学を修め現在は学術的研究とともにテクノロジーを駆使した植物のインスタレーションを各地の美術館やギャラリーで発表し話題を集めています。ギャラリーオーツーでのインスタレーションはティランジアという水と二酸化炭素で生きる植物を使い大きな風船を地球に見立ててCOPを検証するとともに、私たちの鈍った五感を取り戻すべく今日の危機的事態への啓発とメッセージを込めたそうです。銅金さんの教え子達も集まり話に花が咲いていつの間にか夜も更けて行きました。
  「自分の役割を与えられたような気がしたというのは?」


*美術愛好家だけでなく、もっと広く美術が行き渡るためにはどうしたらいいかを追い続ける
 
 今回のインスタレーションアートもそうですが私は美術、工芸、デザインの分野で活躍している作家を取り上げていこうとしています。節操がないと言われるかもしれません。でも私は器も壁に掛かる一枚の絵も風船のインスタレーションも我々の生活に必要だと考えるからです。私の独断と偏見のスタイルがどこまで続くかは私自身のチャレンジです。一枚の絵を得ることは贅沢なものではないのです。人の作ったもの、人の手と知から生まれたものを愛でるという行為は感性を刺激し五感を磨きます。そして気持ちが豊かになって幅広い目で物を見て、考えられるようになるでしょう。私は美術愛好家だけでなく、もっと広く美術が行き渡る為にどうしたら良いか絶えず考え続けています。ギャラリストとしてのポジションは、このささやかなギャラリーの中で皆さんよって育まれていくのです。

 今日はお忙しい中インタビューにお答え頂きありがとうございました。
 銅金裕司さんの風船地球号も面白くティランジアという変わった植物にも出会うことが出来ました。
 池田さんのお人柄に惹かれて画廊に足を運ぶ人も多いのではないでしょうか。これからもいい作品、作家をどんどん紹介してください。楽しみにしています。

インタビューを終えて
 池田さんの美術に対する熱意が感じられるインタビューでした。幼い頃から描くことの才能を持ち、周りからも期待される子どもだった池田さん。生まれ持った知性と感性は鋭く、故に自ら問い、模索し、追求し続ける人生を選んだ気がします。話の中で、早くから池田さんの才能を見いだしていたお母様が幾度となく池田さんにチャンスを与えていることに、深い愛情を感じました。誰でもが入れる美術の扉を開けて日常に潤いをもたらしてくれるギャラリストとしてますます興味が湧いてきました。

ギャラリーオーツー
〒143‐0024
大田区中央3‐2‐16
03‐5709‐9840
e-mail:gallery-o2*nifty.com
(*は@に変換してください)

(早崎眞佐子)

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