小金井発!芸術文化を書くこと/伝えること講座

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都民の日子宝湯コンサート

 9月の後半になって雨の降る日が多くなり、10月1日の天気が心配になってきました。10月1日には都民の日邦楽・洋楽子宝湯コンサートが江戸たてもの園で行われるからです。雨が降ったら小金井公園に来る人は少ないでしょうし、その公園の一角にある江戸東京たてもの園に入園する人も、たとえ都民の日で入園料が無料でもなお少なくなるでしょう。ましてやコンサートも。
 当日10月1日、心配した雨は降らずにすみ、コンサートが始まる頃には薄日も差すような天気となり、まずは一安心。リハーサルも終え、次は客席づくり。子宝湯の洗い場と脱衣所に座布団を敷き終わった頃には整理券をもらう行列ができ、やれやれと安心しました。

画像1リハーサル
リハーサル

 なぜ私の夫、尺八吹きの北畠頌(きたばたけしょう)輔(すけ)がこのコンサートに参加することになったのでしょう。未だによくわからないのです。
 あれは確か寒い頃今年の1月あたりでしたでしょうか。小金井市に住むSと名のる男の方が見え、自分は都山流(とざんりゅう)尺八をやっているが、ぜひ琴(きん)古流(こりゅう)尺八の「虚空(こくう)」をやりたいというのです。「虚空」は難しいから、それなら、まず「阿(あ)字(じ)観(かん)」をやったらどうでしょう。ということで「阿字観」の稽古を始めました。その時、「虚空」の入ったリサイタルのCDがありますが。と声をかけると買い求めていかれました。なにかそのCDを大変気に入られたようで何回も聞いているとか、「残月(ざんげつ)」という曲にえらく感動したとかS氏はおっしゃっていました。そのうち、H社の雑誌に連載が決まり、尺八どころではないと1ヶ月で家に稽古に来ることはなくなりました。その最初に見えた日の雑談の中で狛江市在住の邦・洋楽演奏家による「夢コンサート」の話になり、730席が埋まってびっくりしたことやこんなコンサートを小金井市でもやりたいなど夢中で話していかれたのでした。その他にもあちこちの演奏会に行かれているようでした。その後も何回か電話があり、出演依頼もありましたがスケジュールが合わずお断りしていました。そして、江戸たてもの園の風呂屋で邦楽・洋楽コンサートをという話になり、10月1日は空けておいてくださいということになりました。頌輔の尺八の他に中島靖子作曲・深尾須磨子作詞「笛吹き女(め)」をやりたいと聞いておりました。お弟子さん方が出るのかしらと思いましたら、小金井市在住の正派の家元中島靖子先生のお宅へ直接伺ったそうです。これにはびっくりしました。正派といえば歴史もあり所帯も大きい箏曲の二大派閥の一つなのです。最初は「あなたはだれ?」みたいなことを言われたようですが、S氏はそれにもめげず熱心に話されたのでしょうか。よい返事をいただいたようです。そのうちに、なんと中島ファミリー(ご夫妻、娘、孫)の出演が決まり、エー本当?本当に薄謝なのに。と驚き、S氏の行動力のすごさにあきれたほどでした。
 このコンサートでは頌輔の持ち時間は10分。10分の間に、古典本曲の「阿字観」を二尺四寸管の長尺で、琴古流本曲の「巣鶴鈴慕(そうかくれいぼ)」を一尺八寸管(尺八の名の通り一般的に吹かれることが多い尺八)でと考えプログラムを出しました。ところが、10月1日都民の日は子どもも来るからもっとなじみの曲を。たとえば、唱歌メドレーではどうでしょうという話になりました。でも、今の子どもは唱歌なんてあまり知らないのです。どうしましょう。とりあえず「あの歌この歌」にしておけば、どんな曲をやっても平気でしょうと「阿字観」のかわりにいれました。
 さあそれからが大変。新宿の本屋へ行き五線譜の楽譜を買ってきたり、新譜を注文したり、小金井図書館へ行ってCDを借りてきたり、手持ちの楽譜をひっくり返したりして大騒ぎ。結局「コンドルは飛んでいく」「月の砂漠」「川の流れのように」「千の風になって」がいいだろうと言うことになり頌輔は練習を始めました。
 「千の風になって」は尺八の琴古譜(原曲に近い)もできあがり、お弟子さんに教えたら、皆さん喜んで取り組んだそうです。
 曲が決まったら今度は何寸管で吹いたらよいのかで、いろいろ試していましたが一番迷った「千の風になって」は二尺四寸管に、「川の流れのように」は一尺九寸管。「月の砂漠」は一尺六寸管、「コンドルは飛んでいく」は一尺四寸管にしました。暗譜に向けて、毎日熱心に練習しているのを聞いていましたら、「月の砂漠」の出だしと「巣鶴鈴慕」の出だしが同じなのです。頌輔にそのことを話し、やりたかった「阿字観」を少し吹いてから歌に入ったら? と言ってみました。そして、「川の流れのように」の出だしに古典本曲の「虚空」の出だしを少し入れたり、「千の風になって」の前に古典本曲の「奥(おう)州(しゅう)薩(さ)慈(じ)」の一番よい真ん中辺を出だしにしたりして楽しんでいました。
 
 会場は男湯でしたが満席の120人を超え舞台は見られませんが音だけでも聞きたいという人が20人ほど女湯に入っていました。そして舞台はその昔湯船だったところに板をしき、その前に張り出し部分も作り緋毛氈までしいてあります。
 さあ、いよいよコンサートの始まりです。頌輔は舞台の真ん中に正座し「巣鶴鈴慕」を吹き始めました。最初は女湯のほうがうるさかったのですが、そのうちに会場がしーんとなり、手応えを感じたそうです。
 つぎは「あの歌この歌」。その場に立ち上がり、立てかけてあった尺八の中から一尺四寸管をとり「コンドルは飛んでいく」をという具合に次々と吹いていきました。最後の二尺四寸管を手に持った時、前の緋毛氈に進み出て、「長尺、うまく鳴ってくれますか」と小さな声で言ってから「千の風になって」を吹き始めました。

画像 2千の風になって
「千の風になって」

画像3笛吹き女
「笛吹き女」

 H社の雑誌のレポート《銭湯でコンサート&ワークショップ/邦楽愛好家+行政の見事なコラボレーション》に『「川の流れのように」「千の風になって」など4曲を一尺四寸〜二尺四寸まで4種の竹を使って吹いてみせた。その音の響くこと。ホール顔負けだ』とあったので、うまく鳴ってくれたのでしょう。
 その後は「笛吹き女」。後片付けなどで後半ぐらいから、しかも裏手でしか聞けませんでしたが、深尾須磨子の詩を朗々と歌い上げ、箏、十七絃、篠笛、尺八、鼓と様々な邦楽器がからみあった見事な演奏ではなかったでしょうか。邦楽の最後は「春の海」。今回は箏とフルート。
 洋楽のコンサートは裏手で聞いていましたが、観客の笑い声が聞こえるのです。話し手が何を言っているのかはわからないのですが、話が巧みな方なのだなと思っていました。後で前の方に座っていた人に話を聞くとチェロなど間近に見られて迫力があったと言うことでした。

 コンサートが終わり次はワークショップ・楽器にふれようの時間となりました。尺八は男湯の洗い場のほぼ真ん中に位置どり、段ボールに尺八を12本無造作にさして置いてありました。
私は子宝湯の外に出てみました。たくさんの子どもたち親子連れが思い思いの場所で遊んだり食事をしたりしていました。思い切って声をかけてみました。
「尺八吹いてみない?君たち何年生?6年生!では3学期の初め頃、音楽で春の海という日本の音楽を聞くでしょう。それは箏と尺八でやるのよ。やってみない?」
一度声を出すと後は平気!
「尺八ふいてみない?子宝湯でやっているよ!」
と怒鳴って回りました。
 戻ってみると、たくさんの人が集まり、応援を一人頼んであったのですが、頌輔と二人では足りません。そしたら、H社の社長さんも教えだしてくれました。私もかろうじて音が出るくらいで、教える資格などないのですが、小さい子などの相手をしました。初めての人は、とにかく音を出そうとして思い切り吹き込み酸欠状態になり頭がくらくらするのですが、少しでも音が出ると
「わ、すごい!」
とほめますと、本人はもちろん周りの子たちもまた挑戦し出すのです。小学校の2年生だという双子の女の子たちは、お風呂場の鏡を利用してずいぶんと熱心に取り組み音が出るようになりました。また親子連れで母親の音が出ると、一生懸命子どもに教えますし、その逆に子どもの方が先に音が出ますと親はむきになって挑戦していました。中にはよちよち歩きの赤ちゃんに尺八をくわえさせようとするお母さんもいましたが、これはやはり無理でした。
ワークショップも終わりに近づいた時に、オーストラリアから来た男性2人が、たまたま子宝湯に入ってきて尺八を吹き、けっこうすぐ音が出、大変喜んでいました。そして、オーストラリアにもアボリジニーに伝わるディジュリドゥという尺八のずっとずっと大型の楽器があると話していかれました。そんなこんなであっという間に1時間がたってしまいました。

画像4国際親善?
国際親善?

 その後は、子宝湯の前の休憩棟の2F「蔵」で反省会。
 今回のコンサートは江戸たてもの園と小金井市の共催であること。今年、小金井市は市制50周年、江戸たてもの園は開園15周年を迎え、それを記念しての催しだったこと。子宝湯では今までコンサートや寄席で締め切ったのは1時間程度。なぜなら、「千と千尋の神隠し」のモデルとして有名で、この銭湯見学を目的に訪れる人もいるそうで、今回2時間締め切ったのが初めてだとか。江戸たてもの園の学芸員、小金井市コミュニティ文化課文化推進係のSさんやS氏の話などからはっきりしました。そしてこの3者の方々の今までのご苦労の上に今回のコンサートがあったのだとわかりました。
 反省会の後、外に出ましたら、すでに辺りは暗くなりもちろん昼間の人影は消え我々だけでした。
子宝湯の明かりが灯り、子宝湯が生きていた頃にタイムスリップしたように感じました。

(北畠久美子)